こんにちは、成田愛子です
やっと夏休みがおわり
この夏のあれこれを思い出しながら
今日はひとつ残しておきたくてブログをしたためます。
みなさまお元気でしたか?^_^
すごく久しぶりなブログな気がします。
いきなりですが表題にびっくりした方も多いかな。
え、まだあったの?、てきなね。笑
あったのよ〜。笑
今日も(いつも)長文ですので
お時間のあるときに読みたい人だけよんでくださいね
*
20代で盛大に反抗期がきて←(思春期にこなかった
母との関係性が人生の大半を占めていたことに気づき
大人になってもなお繋がっていた母との見えない臍の緒を自分でチョッキンと切ることで
やっと遅い自立をし
そこからは
すべてが自分から始まっているというこの世の仕組みに驚き
幼き頃みえてたきこえてた感じてた世界を思い出し
自己対話というたいわをしまくってきた。
alohaの教えや
禅だとか
あらゆる生き方、在り方を自分に問い始めた。
30代になってようやく
母との関係性も柔らかなエネルギーで
素敵なバウンダリーを築きながら対話することができるようになり
私自身離婚もして
自分の人生について
心の底から自信もって
ああこれが私の幸せだって
満たされて体現できてるなぁと♡
自分成長したじゃん♡なんて
ポジティブ野郎におもいつつ
やっと抱えてきたあれこれが
昇華した
、、、
ようにみえていた←おい
いや、
そうとおもいきや
まだのこってたんですね〜
私が1番びっくりよ!笑
離婚してやっとあれこれがおちついてきて
それなりにパートナーもできたりして
平凡平和な毎日をおくってたんだけども
実はなぜだか
出逢う人出逢う人
エネルギーのどこかしこに
【怒り】
がどこかにある方で。
本人も気づいてないような小さなものから
大きなものまで
なぜこの人はこんなに怒ってるんだろう
怒りの対象は色々ですけど
その怒りの矛先がこちらにむいたときには
はっ!
とするじゃない。笑
で、
すすすすすすすすー
と後方へ移動して閉店撤収作業をする、てなりながら
気づき始めちゃうのですよね←
目の前のひとの内側にこんだけ怒りがあるってことは
私の中にまだ怒りがあるんかなぁ。。
でも日々順調だしな
なんだろななんだろな
なんてぼんやり考えたりしながら。
で、
ある時
その気づきの瞬間は急に訪れるわけです。
私の中に
「男性への怒り」
がまだあったのだと気づいたのです
なぜこんなに怒ってるんだろう
なぜ目の前のパートナーに嫉妬されたりしすぎるのだろう
そのうちこの人もだめか、、と落胆し
このガッカリの奥に潜む静かなる怒りのパターンはなんだろう、
と内観が始まるわけです
そんなあるとき
思春期の息子が大爆発して荒れに荒れたんですね
家が壊れるかとおもうぐらい
で、なんとなく自分のところに置いて置けなくなって
母にsosをおくったんです
(sosをおくることすら10年前はできなかったのでそれすら私の中では成長です)
そしたらたまたま母が忙しかったので
母から父に連絡がいったんですね
で、状況を話したら
そっこー父が飛んできたんです
あの基本的にソファから動かない父が←
びっくりしたんです
それに今回の大暴れは確かにびっくりしたけど
そこまで大袈裟に助けを求めたわけでもなかったんですね
父は、私の心配はもちろんだけど
男同士の話もある、と孫を気遣っていたってゆーのもある
それでもわたしは
人生でこんなに驚くことあるだろうかとおもうぐらい
びっくりしたんです。
父は全然動いてくれないっておもってたから←
あれ?なんでそう思ったんだっけ?
そう気づいたとき
積み上げてきた積み木が
バサっと崩壊するように(とある映画のあのシーンのように)
世界がこわれ
反転し
真実を見た気がしたのです
それは
父にむけた私の目線が
母のフィルターであったことに気づいたから。
父は肝心なとき母を助けてくれない
母はいつもひとりでがんばってる
父という大人の男性がそばにいるのに
いつも孤独のようにみえて
なぜ父は母を助けない
そんな怒りが隠され隠され奥の奥の方の私の中にあったということに
気づいてしまったのです。
でもその怒り、は
わたしのものではなかった。
母のものだった。
あのときも
あのときも
助けてくれなかった。
あの時も知らん顔した
あの時も
そう言いながら家出した母を捜しに、迎えにいくのはいつもわたしだった
母の闘う様を、横目に
父という大人の男の人への怒りを自分の奥底に初期設定でいれた。
どうせこの人は私を大切にしない
どうせこの人はいざというとき動かない
どうせこの人はわたしの本心になんて気づかない
わたしが病気でしんどくて泣いてたって
口開けてぐっすり夜眠ってた
寄り添ってくれない
頼りにならない
知らんぷりされる
だからわたしはお金を稼ぐ
経営する
好きなように生きる
それでもどこか孤独だ
、、、
それはぜんぶ会社経営しながら子育ても家事もすべてひとりで背負おうとした母の怒りだった
わたしは母の感情を自分の感情と無意識にすり替えた。
男は頼りにならないから
仕事も家事も完璧にわたしがやる。
仕事だって
男と肩をならべてかならずできる
そう生き抜いていた母の
男(父)は頼りにならない、を
無意識に初期設定で全搭載した。
ぜんぶのせした。
こう書くと全部母のせいのように聞こえるかもしれないけど
断じてそうじゃない
これは母が好き過ぎた
娘の話です。
こどもというのは
母親のことがそれほどまでに大好きすぎる生き物なんだなぁ。
ということがわかったのだ。
ああ、お母さんの味方したかったよね
って。
この積み木が崩れた時
わたしがこの37年間みてきた父は
父のようで
父ではなかった、
ときづいたのです。
本当の父をみてなかった。
わたしの目でちゃんと見てなかった。
ああ
なんてことだろう、
そうおもったら
涙がポロポロおちてくる
なにも受け取ってこなかった。
父の不器用な愛も
言葉にしない愛も
懐の深さも
なにもかも
はねのけてきたのはわたしだった
わたしは母の目で父をみてた
このわからずや!
って。
先日父は
私のsosをきいて
県をまたいで往復4時間かけてやってくるほど
わたしたちを大切におもってくれている(いた)
いつも助けようとしてくれている(いた)
なにもかもを
受け取る器がなかったのは
わたしだった
そう気づいてしまったら
離婚後起こった
これまでのあれこれもすべて
つじつまがあいすぎる
仕事すら
ぜんぶ。
わたしは
何を目の前のひとに解らせようとしていたのだろう
これがわたしだ!って
指し示して
怒りからの動きで
なにができよう
わたしは幼い頃から怒ったり、言い争いをしたりするのが苦手で。
相手が怒ってるのをみたら
血の気がひく
そして盛大に音がきこえるぐらいの
閉店ガラガラするタイプだった
だから自分の中に
こんなにも怒りがあることにすら
自分で気づいてなかったんです。
雄化とか雌化とか、
男性性つよいとか
女性性つよいとか
巷ではよくきくけども
そーゆーレベル感のお話じゃない
【怒り】
という感情のエネルギーの大きさを思い知ったんです。
ああ
目の前のひとを
「使えない人」
「わかってくれない人」
「わたしにぶら下がる人」
「頼りにならない人」
「本当の意味でわたしという自分を出せない人」
にしていたの紛れもなく私自身だった。
権威や地位のある方にも
女性の幸せなどあなたがたにわかるんかい
ぐらいな
感覚が無意識にあった
ああ無意識って恐ろしい
護ってくれた数々の愛ある人々へも
どこか「わからせたい」というきもちが
わたしの根っこには確かにあったのだ
それは
偶像の「わからせたい」、だった。
そこにあった事実は
わたしが女性の生き方や在り方として世界へこう発信したい!という欲求のようでいて
実はそんな皮をかぶった
みせかけの使命だった。
そしてそこには
男性への怒りが大いにあったのだと
これまでを振り返る。
穴があったら入りたい。
そんな境地に赤面する。
ああ、
気づいてなかった。
なーーーーーんにもきづいてなかった
わたしに、受け取る器がなかった
ああなんて恥ずかしい。
そう感じながらも
父と続くLINEのメッセージをよみかえしては
その優しさに心が震える。
ああ、いま、父と目を合わせて話せるうちに
気づけてよかった。
わたしは、壮大な誤解をしていた。
わたしは、それほどまでに母がすきで
わたしは、それほどまでに父が大好きだった。
離婚すら事後報告だったわたしは
父とも母とも
自立と称してまだちゃんと繋がろうとしてなかったのかもしれない。
息子を通して父の本当の姿と繋がり
母を通して女性として
ちゃんと護られていいことを許可できた。
綺麗に隠れて
見えないように
奥に奥にいたわたしの
男性への怒りは
この過程を経て
綺麗に美しくそらに消えたようにおもいます
父とはずっと親子だったのに
わたしには父の姿が全然みえてなかった。
目が覚めたように
いま、世界が優し過ぎて
わたしは37年の時を経てはじめて、
いま
ちゃんと父と親子になれたきがします。
そしたら
出逢う人出逢うひと
やさしいのですね
(いえ、なにをもってして優しいか、みたいなのは置いておきますが。。)
ああこういうことか
感謝ってこういう感じかあ
護られてるって
そっかーこーゆーことかぁ
わたし、ずっと護られてたんだ
気づかなかった
なんてことだ
っていちいちパッカンパッカンしては
ずいぶんと浅瀬にいたものだと
自分が恥ずかしくもあり
でも
今がベストだったな、ともおもうんです
愛されて育ってきた
充分すぎるほどに。
そして今も
たっくさーーーーーーん愛されてて
護られてる。
父や母や御先祖さまや
そのほかのみえないものたちにも。
わたしの怒りは
まやかしのような
ちょっとした魔術がかけられていた。
本当はそこには
怒りなんて最初からなかったんだって
そんなことに気づいたりして。
怒りの奥にあったのは
結局母の自分の愛されたいように愛されたいという、なんともかわいい気持ちだった。
父と母の物語を
わたしは37年経って宇宙に還して
やっと自分の姿を見る。
少し離れたところから彼らの姿をもみる。
父の穏やかで不器用な愛を知り
わたしはこれまでのすべてが
ようやくちゃんと見えた気がした。
わたしのこの生き急いできた人生は
もういつ死んでも後悔ないと
そう思いながら生きてきたけど
ああ、それすらも
まだわたしの人生のようで
かっこ仮
のものだったのかもしれないと。
そして、
静かに
悟った気がするんです。
あーーーーーーー
こっからかーって。(遅っ笑
やっとスタート地点。
37歳。遅いか早いかはわからないけど。
37歳で生きながら死んで、を3周くらいはした気がしないでもない。
←ながいよ今回の人生。笑
4周目。
今自分の目の前にいる方々をみていると
それで合ってるよ!って神様から言われてるみたいな
そんな幸せな気持ちになるのです。
自分のなかに確かにあった見えざる怒りがみえたとき
なんともいえない
愛おしさがこみあげてきたんです
それほどまでに
わたしは護りたかったんだって
母や
父や
実家をね。
怒りを認知するきっかけは
前のこのblogの中に記載したことにもいくつかあって。
父とのLINEはこのきっかけからスタートし
わたしの人生最大の気づきをくれたのでした。
長年連れ添い
私たちを守ってきたその怒りのエネルギーを
そらに還した時
わたしは
こころから
安堵したのでした
やっと、わたし、になれた気がした。
そして、瞑想したら
小さな頃のわたしたちにつながった。
海辺であそんでいた若者たちのフリスビーが
父の顔面にあたり
父は血をダラダラ流し
それをみたわたしは
父が死んでしまう!と大泣きした。
あの地点の3歳くらいの
小さなわたし。
そのわたしが
写真の三角形をみながら
やっと真実にたどりついたね、て
わたしに言うんです(不思議なことに、わたしはその地点の私をしってるんです
いま、
私の目の前にある
この沢山のギフトたちをみては
感謝がこみあげてくる。
あーほんと
生きててよかった
ありがとう♡
ほんとに、生きててよかったよ
わたし。
これに気づきたかったんだ。
「愛されてんだと自覚しな」
これも生徒さんが教えたくれたのですが、私からもおすすめします^^
最後までお読みくださりありがとうございます^^
こんな大変長い文を全て読んでくださったみなさま〜
きっと明日もいいことあるよ♡
みなさまに沢山の幸福が降り注ぎますように
らぶ♡