はるちゃん


昨日、前住んでた家に

 

息子たち二人連れて荷物を整理に行ってきました。

 

 

その時にこの時の友人のおうちにも立ち寄らせていただき

 

息子たちを連れてやっと、お線香をあげにいくことができました。

 

本当はもっと早くきたかったけど

 

自分自身の離婚のゴタゴタと

コロナという社会情勢で

ゆっくりと息子たちの地元に立ち寄ることができなかった。

 

息子たちは久しぶりのお友達との再会に本当に喜びで溢れてて

 

どこからともなく

「帰ってきてるらしい」という声が届いて会いにきてくれる子や、

帰り際まだいる?!って駅まで会いにきてくれた友達たちとのひと時に

 

親子3人、本当にいい時間を過ごさせていただきました。

 

今回の帰省は本当にベストタイミングでした。

 

反抗期の息子は

絶賛「ウルセェクソババア」な時期だけど

旧友にあったら一瞬で頬が緩んだのがわかった。

 

今回の帰省は

むすこ(特に長男)たっての希望で

「○○(友達の名)のママにお線香をあげに行きたいから、連絡をとって欲しい」と言われてやっと実現した。

 

 

繊細な長男には彼女が亡くなったことをなかなか言えないでいた。

けれど何かを察知した息子の質問責めにあい

後日、ある日の深夜に伝えた。

 

 

そしたら長男、

ボロボロに泣きながら

 

「○○(友達)のところへいますぐ連れてってくれ!」

 

と自分の持ってるお気に入りのぬいぐるみや、おもちゃやお菓子や

それらを集めて、リュックに詰め込んで

 

「これを○○に渡すだけでいいから、今すぐ連れて行け」

 

と泣いて暴れたんだ。

 

私は、それを静止するのに精一杯だった。

 

大きくなった息子の反発する力にびっくりしながら

今は深夜だから無理なこと。コロナで簡単に移動できる時期じゃないこと。まだ向こうのおうちも落ち着いてないからすぐは無理なこと。必ず時がきたら連れて行くと約束すること

 

それらを伝えて、

抱きしめながら力で止めて

 

気付いたら二人でわんわんと泣いていた。

 

そんな日のことを

 

昨日お菓子を食べながらゲームをして笑い合う息子たちをみて、

思い出していた。

 

 

彼女の息子はこの数ヶ月で背が追いつかれてしまうほど大きくなり

声も変わって

もうすぐ3歳になる妹の手を引いて

随分とたくましく成長していた。

 

帰り際、何気なく話した会話の中

 

「○○がよくママに怒られて家出してうちにきたことが忘れられないよ」

「みかんくれた日もあったね」

「次もし家出したくなったら電車乗って東京のオレんちに来たらいい」

 

そんな話を子供たちでしていたのを聞いていた。

 

 

 

誰も何も核心には触れないけど

優しい空気が流れてた。

 

友達っていいね。

 

幼稚園の時からずっと一緒で

しゃべらなくても伝わる空気感、安堵感があるようだった。

 

次男ズはきっとまた空気感全然ちがったのだろうけど。笑

 

 

もうすぐ3歳になる娘ちゃんは

おしゃべりでお兄ちゃんにも負けない!ほど勝気に成長していて

私をソファの隣に座るように導いて

「お本を一緒に読もう!」と

エンドレスに絵本を読んで始終ニコニコだった

「おうちでも読んでね^^」と伝えると

「これみたらパパはびっくりしちゃうなあ!」って笑った。

 

 

 

 

多感な時期の子どもたちの

実際の子育ては

きっとこんな綺麗事だけでなく

体当たりで毎日ヘロヘロになるし

本当、きれいごとじゃおさまらないことばかりだけれど

 

子どもたちがお互いにつながり合うことや

親や家族以外の横のつながりは

きっと大事なことなのだろうと想った。

 

離婚したけど

 

息子たちにとってはここが地元だ。

 

そして私にとってもここ、は大切な場所だ。

 

 

たまに、息子たちの地元につれて来ようと

彼らの触れ合いを見て想った。

 

 

 

 

 

はるちゃん

あなたの愛する子どもたちは

本当に健やかに大きく成長してて

大人の私たちの方が置いていかれてしまいそうなほど

たくましく、これからが楽しみだよ

 

幼稚園の時、保護者が子供たちへ手紙を読む、という誕生日会が催されていたね

 

7月が誕生日の次男ズが一緒だったから

私たちは3年間ずっと同じタイミングで手紙を読んでた

 

私は

その時のはるちゃんの声が忘れられないんだよ

 

手紙の最後に必ず「大好きだよ」という言葉が入る。

読みながらいつも声をつまらせ泣きそうになるはるちゃんが大好きでした

 

今も大好きです

 

はるちゃんの子どもたちへの愛は

 

永遠だなあと

 

昨日想ったよ。

 

 

昨日、子どもたちのバタバタと

 

しんみりしてもな、とゆっくりお話もできませんでしたが

 

はるちゃんのご主人と

はるちゃんのお父様、お母様へ

 

 

埼玉に引っ越してきた時

私は闘病の真っ只中でした。

 

とはいえ生命の危機があるような病でもありません。(今は症状出ないほど回復して通院もしていません)

 

ただ、メニエールで毎日世の中がぐるぐると回っていて

 

とにかく薬漬けでした

 

保育参観も運動会も何もかも、体調がよくないと出れず

出れてもギリギリの状態で出席してました。

 

人とたくさんの交流をすることもしんどかった私にとって

 

はるちゃんの存在は

 

本当に救いそのものでした。

 

「愛ちゃん」とすぐに呼んでくれて

 

底無しに明るく、

境界線なくみんなとすぐ打ち解け、仲良くなり、

人と人を自然に繋げることのできる

 

HAPPYなはるちゃんが大好きです。

 

引っ越してきたばかりの私に、

 

小児科どこの病院を使ってるか、とか

スーパーはいつもどこ使うか、とか

 

 

なんでもいつも軽やかに教えてくれて。

大した内容でもないことが私にはとても重要な情報で。

 

小学校に上がってからは同じ学校に進む幼稚園の時の友達も少なかったから

 

余計に夏休みの宿題やプリント類の連携を密にして

たくさん助けてもらいました。

 

私の埼玉での数年間は

 

はるちゃんがいなければ

機能してなかったと真剣に想っています。

 

息子たちも二人とも同い年で

日曜日になるとインターホンがなってどっちかの息子が遊びに誘いに来る。

 

そんな息子たちの青春時代を共にできたことが

私にとっても喜びです。

 

 

ロードレース大会の帰り道、

北風が寒い日だったのにすごい薄着できた彼女に

マフラーを貸しながら

病気のことを聞いた時

ぽろっと「不安」と言った彼女の顔が忘れられません。

 

思わず抱きしめて

「絶対大丈夫!」と「できることがあればなんでも言ってね!!」と

背中をさすった。

 

何度思い返しても

あれでよかったのかと自分への問いが止まりません。

 

簡単に「大丈夫!」だなんて無責任に言って。

 

 

 

今でも、何が正解かなんてわからないけれど

わかり切っていることは

 

私の人生において

はるちゃんという人がいなければ、

今の私はいない、ということです。

 

それは息子にとっても同じかと思います。

 

感謝してもしきれないぐらい感謝しています。

 

 

そして

今も、ずっと私たち親子は

はるちゃんのことが大好きです。

 

 

早朝7時すぎ、

学校に行きたくない息子を車に乗せて登校班の列を追いかける時

大体はるちゃんが

すごいスピードで走って、息子の名前を叫んで

忘れ物を届けに走るところとすれ違う。

 

私たちはアイコンタクトで

「今朝もお疲れ様」と伝え合い手をふる。笑

そんな毎日のたわいもない時間を思い出すだけで

愛おしくて仕方がありません。

 

子育ての一番愛おしくて

一番大変な時期を共有して

共に支え合ってきたはるちゃん

 

お通夜にたどり着けたのが夜すぎて

はるちゃんの

お父様、お母様に会うことができなかったけど

感謝しても仕切れぬほど感謝しています。

 

 

 

美容院で働くはるちゃんもとってもムードメーカーで

いつも笑顔で接客してて

薬剤で手が荒れても

働きマンで本当にかっこよかったです。

 

はるちゃんがいるだけで

その場に花が咲く。

 

はるちゃんという人の存在の大きさは私たちにとって大きなものです。

 

息子は

人生で初めて、「死」について考え

1日8時間やっていたゲームをやめて

塾に入れてくれ、と私に懇願し通い出しました。

 

なぜ、人は死ぬのだろう

 

なぜ、治せない病気があるのだろう

 

そんな問いが彼を導いたようです。

 

彼がどんな進路を歩むかは

まだわかりませんが

 

私たちにとって

はるちゃんはずっとずっと大好きな存在です。

 

せっかくこの内容のままにお手紙を書いたのに

昨日持っていき忘れてしまい

このような形となりましたこと

 

お許しください。

 

 

でもエゴだけど全世界にはるちゃんが大好きだと言いたいし

私からしか見えてない一部分ではあるけど

これがはるちゃんという人が生きた軌跡だから

手紙を忘れたことすらベストだったと信じてます。

 

名も無い私のブログを読む人はとても少ないですが

これを読んだ人の中にもきっとはるちゃんは花を咲かせるでしょう。

 

 

はるちゃんという人の

30数年のうちのたった6年しか一緒にいれなかったけど

私たち親子の中で

はるちゃんはずっと笑顔です。

 

はるちゃんに恥じないように

息子共々、生きてゆきます。

 

いつか、ご挨拶にいかせてください。

 

寝ても覚めても

世界がぐるぐる回って

心がいつも苦しくて

生きる気力がなかった時

 

はるちゃんの存在が私を生かしてくれてました。

 

感謝しています。

本当に。

 

はるちゃんを私の中に生かして

私は私の仕事をまっとうし、歩んでいこうと思います。

 

はるちゃんが私にしてくれたように

何かを語らずとも

 

そのあり方や、存在だけで

人々に生きる希望を与えられるような

 

そんな

生き方をして行こうと思います。

 

 

 

 

全世界に愛を叫びたいぐらい

はるちゃんが好きです。

 

ありがとうじゃ足りないぐらい

ありがとうって言いたい。

 

聞こえてるかなー?って毎日綺麗な空を見るたびに想います。

 

昨日も

まるで大きな鳳凰が空を飛んでるみたいな

綺麗な空でした。

 

 

そんなはるちゃんへのラブレターのようなお手紙となってしまいました。

 

どうか、天国まで届きますように

 

愛と感謝をこめて。

 

 

愛子

 

 

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