いま、純愛のとき。


成田愛子です。

タイトルに吸い寄せられるようにここにたどり着いた方もいるでしょうか。

 

昨日は、七夕でしたね。

 

わたしは昨日、例年のごとく天の川ソルトをつくり、

 

(七夕の夜に作り上げるというのが毎年の流れになっていたの)

 

3年目にして

 

もうこれ以上の天の川ソルトは作れない、という境地にいたり

 

価格すらつけられず

 

神(夫)に価格設定までお願いし

 

集大成のソルトを大変な破格で世におくりだしました。

 

 

これね♥美しいでしょ♥(左が織姫・右が彦星)

 

たくさんの方から間に合わなかった!

もう一度カートオープンしてほしい!

 

と深夜に連絡がたてこみ

 

(たぶんあと50こ!とか出してたからそれもあるのだと思います、それはわたしの責任です)

 

一貫してもう0時で完全CLOSEでした!ごめんなさい!を

 

個別連絡で返し続けた七夕の夜をすごしました。

 

きっとすべてが必然ですので

 

がっかりしないで

 

また次のタイミングを待ってくださると嬉しいです^^

 

きっと違うソルトがあなたの手元にいく予定だったのだとおもいます^^

 

どんな商品でも

一斉カートクローズしたものを誰か一人のためだけに開けることはもちろんできませんし

誰かだけを特別扱いできないし

それは在庫あるなし関係ないのです。

 

すべてはエネルギー。

 

これはもともとですが法人化してからより一層

お客さんによって態度を変えるみたいなこともしたくないのでそこは徹底しています。

 

間に合わなかったときは

間に合わなかった、と受け止めてください。

 

どうかご理解くださいますと幸いです。

 

(また今回のような事務的なご連絡は事務局へお願いいたします。メッセンジャーやアプリ・LINE@では受け付けられませんのでご了承くださいませ。LINE@やアプリの1:1トークは私へのソルトの感想やHAPPYなご連絡などはいつでもウェルカムですが、すべてに返信が行くものではございませんのでかえってきたらラッキー☆ぐらいにおもっていくださいますと幸いです^^)

 

こういった連絡を頂戴するときにね

 

わたしはいつも天からのお試しにあってるような気持ちになるんです。

 

さあどうする?

 

って。

 

ここで全部受け容れたらたしかに売り上げにはなるけどさ

 

商品へのリスペクトとお客さまへのリスペクトいう意味では

 

わたし、を裏切ることになるんだよね

 

それはすなわち今傍にいてくださるお客さまを裏切ることになるし

 

目先の数十万より

わたしは迷わず「信頼」をとるのです。

 

 

 

だってそもそもこの商品は特に

 

儲け云々じゃない商品で。

 

 

だから価格設定すら手放したわけで。

 

 

もうこれ以上はない。

 

ラストだからこうしよう。

 

といういわば神聖なものだった。

 

 

それがどこまで伝わってたかは分からないし

 

わたしも今回沢山の説明をつけなかったので仕方ないのだけど

 

 

神聖なものの門が神聖に時満ちて閉じた時

 

またそれをこじ開けることをわたしは決して喜ばないし

 

閉じたモノをあける意志みたいなのは

 

わたしのタイミングなんだ。

 

もっといえばソルトのタイミングなんだ。

 

今回わたしの返信をみて「冷たい」と感じた方も多いと思いますが

 

なんかもうそーゆーんじゃないんだ。

 

お金払うから!とかじゃないんだ。

 

タイミングすらすべてが必然だから

 

そう理解してくださるとうれしいです。

 

 

***

 

さて、前置きが長くなりました。

 

テーマは純愛。

 

織姫と彦星の逸話の真相や詳細は

 

わたしにはわかりません。

 

だけど

 

天の川ソルトをつくっているとき

 

「天の川」という空間がもう

 

わたしにとってとてもとても神聖なものとなりました。

 

それはただただ純粋でピュアで

 

「そこ」に立ち入ると

 

エゴというエゴが癒されてゆくかんじがしたのです。

 

EGOってきくと負のイメージを持ってる人多いと思うのです。

 

私も真ん中にたちかえるとき

 

いつもエゴのないようにないように

 

センタリングして

 

わたし、という個人をできるだけ透明にしてリーディングしていたりします。

 

でもエゴがあるのって人間だからだし

 

人間にしかないもの、というのもエゴなんだよね。

 

できるかぎり「人」と触れ合うとき、何かを伝えるわたし、であるときこそ

 

エゴなく伝える努力をしていますが

 

それでも生きてる限り「人間」じゃん。

 

やっぱでてくるのもエゴなんだよね。

 

そのエゴを卑しいもの、邪として毛嫌いして葬り去るのではなく

 

なんとゆーかね

 

【エゴすら癒したい】と想ったんだよね。

 

あの聖域でソルトを作りながら

 

わたしは、そんなことを想っていました。

 

エゴって人間の醍醐味なんだ。みんなもってる。

 

どんな美しいことを言ってたって

 

人間に産まれてきたかぎり程度はそれぞれに、みんなもってる。

 

それがegoだ。

 

それすら癒したらいいのではないかとおもったの。

 

癒しあったらいいとおもったの。

 

 

男女の

愛についてかんがえるとき

 

考え方は

 

いろいろだけど

 

わたしは昨日七夕の天の川の

 

あの神聖な場所にたちあったとき

 

悟りの境地にたどりついたの。

 

なんかもーーーーーー瀬戸内寂聴イズムとでもいったらいいのかしらぐらい

 

純粋で

満たされてて

それだけでいいと思える境地。

 

賛否両論あるだろうけど

 

恋だの

SEXだの

 

からかけ離れた領域、がそこにあったんだよね。

 

もちろん人間だから

 

「欲」とかはあるだろう

 

性欲なんて人間の三大欲求だし

目を背けなさいとかじゃもちろんなくて

 

むしろガンガン目を向けまくってきたからこそ、の

 

その果て、のような領域が

 

「純愛」

 

なんだ、と気づいちゃったのです。

 

それは決して

 

綺麗ごとにおさまるようなものでは到底ない。

 

血みどろにどろんどろんに体感して

 

欲して

欲されて

 

向き合って

 

遠ざかって

 

をやったからこその領域とでもいえばいいのか。

 

 

だれもがここにたどり着くかどうかもほぼわからないし

 

これよんだところで

 

は?って( ゚д゚)

ポカーンってする人も多いのもわかってる。

 

だけど

 

いつかここにたどり着いた人のために

いまそこにいるひとのために

 

書き残して置こうとおもう。

 

 

肉体は大事だ、

 

SEXももちろん目を向けてこなかった人にとっては

 

めちゃくちゃ大事だとおもう。

 

自分の器を知る、という意味と

 

コミュニケーションや

 

パートナーシップの上で避けては通れないというのもわかるし

 

実際そうだとおもう。

 

私自身もめちゃくちゃ大事だとおもってる

 

そこを避けては通れぬことも

 

知ってる。知ったうえで

 

悟りの境地にいってしまったの。

 

 

純粋に

 

純粋に

 

「純愛」だけでむすびつくカップルの量に

 

たまげたの←言い方!笑

 

 

や、ほんとうにたまげたのよ。

 

 

 

それは出逢えてる出逢えてない関係なく

 

この世界に共に存在している意味、のようなものです。

 

なんておとぎ話チックなこといいだしてるんだ、、と想われてもいい

メルヘンでもいい

 

どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーおもわれたっていい。

 

そうなんだもん。

 

きっと共感はあまり得られないだろうけど

 

今日もあのひとが幸せでありますように、と願うひとの量ったらなかった。

その懐の深さたるやなかった。

 

「手に入れたい」とか

「ひとつに結ばれたい」とか

 

そんなレベルじゃないんだよ

 

とりわけ男性の懐の深さ、みたいのには

 

本当にたまげる。←もうたまげたたまげた言いまくるけど、笑

 

事実、

 

女性より男性のがよっぽど

 

「純愛」極めているような感覚になりました。

 

それはわたしが女性だからそう感じたのかもしれないけれど。

 

本当の意味で相手の幸せを願うことの

 

真意、とでもいうのか

 

それは目先のなにか、ではないのだよね。

 

目に見える対価とか

安心とか

そーゆー世界から大きく離れる。

 

次元がちがうんだ。

 

愛してるといわない愛してるを感じるんだ。(意味わかんなかったらごめんだけど)

 

やーわたしだってもちろん

 

言霊の大切さを体感してきてるからこそ

 

「愛してる人には愛してるっていおうよ」ってこれまでさんざん言ってきたけど

 

もちろんそれも大事だし事実だし必要なのだけど

 

だけど

 

そんな次元じゃない大きすぎる「愛」に昨日は震えたの。

 

昨日の祈りはすごかった。

 

本当に。

 

繋がったみんなが「愛」の真ん中に還ったような気がしました。

 

どうか元気で

幸せであれ

笑っていてほしい

愛してるよ

 

 

そういうエネルギーです。

 

それが

 

ただそこに在るだけで幸せな存在、ということなのだと

 

悟りました。

 

こうしてくれ

ああしてくれ

じゃないんだ。

 

こういったよね

ああいったよね

 

じゃないんだ。

 

ただそこにいるだけであなたは、幸せな存在だよ。

 

 

それが伝えたかった。

 

大きな愛につつまれてるよ。

 

ちゃんと、愛されているよ。

 

 

それは宇宙レベルでの

 

おはなしでした。

 

 

 

 

 

男性のがロマンチストが多いってよくいわれてるのも

 

よくわかった。

 

昨日という日には

 

男性の懐の深さ

 

苦しさ

 

それでも愛すると決めたことの意、

 

のようなものに出逢った気分。

 

 

護るの真意ってそういうことか

 

 

こちらのが恥ずかしくなるほど

 

まっすぐで

 

ピュアで

 

一途であること。

 

そこに言動が連動しないこともおおいけど

 

それでも女性が想っているレベルのはるかに上をゆく

 

「想っている」がある。

 

不器用にも大変長らく

 

そう見守る父性のような

 

懐の大きさを感じるのです。

 

わたしにとって

 

昨日という日は

 

そんな悟りがあった

 

なかなかすごい一日でした。

 

これがわかるかわからないかは置いておいて

 

感覚としてふんわり書いちゃったけど

 

でもこうとしか書けない、と想えるもの。

 

神聖な領域にたどりつくと

 

そこ、がアセンションであったのか、と

 

後から気づいたりするものです。

 

あれ、がそうだったのか、という感覚です。

 

それこそが

 

魂の成長。

 

アセンションするぞーーーーーーーーー♥って鼻息あらくしてなるもんじゃないんです。

 

 

そのとき、

人はいやに冷静で

いやに現実を生きながらに

 

静かに静かに

 

 

気づくものです。

 

 

そういうものなのです。

 

 

よんでくれてありがとう。

 

 

よくわんかんないや!てひとはそのままに。

 

いつもありがとう^^

 

愛をこめて。

 

 

*シェアOK*

 

 

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です